防砂ネットとホームベースの埋設

清原選手の最終打席が、頭から離れない岩井です。(^0^)
昨日は防砂ネット、ホームベース埋設の手伝い2連発でした。


まず、山手公園で防砂ネットを取付け。前回、桜陽高校で作業を手伝っているので、今回は作業がスムーズにできました。先輩の山藤さんとのコンビネーションで高さ合わせも難なく終わり、シワ無く綺麗に出来ました!



午後は鈴木店長が担当している、深谷中学校さんでホームベースの設置。メジャーでマウンドと塁間を測り、ホームの位置を確認後、もとのホームベースを掘りだし、1mmもずれないように新しいホームベースを埋めます。野球部の生徒さんが協力してくれたおかげで、何とか時間内に終わらせる事が出来ました。


ホームベースを埋めたのは、高校時代に一度経験したのですが、店長は何回もこなしているのでそのノウハウを吸収して、これからどんどん仕事を覚え、一人で出来るように頑張ろうと思います。

グラブの修理

先日、取材を受けた"SPORTSよこはま"の10月号が発刊されています!グラブのお手入れを中心に金港スポーツが紹介されています。他にも金属バットを作っている、日本シャフトさんの記事なども興味深いです。サイトでも見られますし、冊子も店頭にあります!ぜひご覧になってください!!


掲載された記事のつながりで、グラブの修理を紹介します。今回はポケットの革が裂けてしまったキャッチャーミットの修理です。裂けてしまった革が本体の革なので、内側から新しい革を当ててミシンで縫いつけて補修するという内容です。


裂けてしまったポケットの部分です。キャッチング時にボールとポケットが擦れるのと、ミットを閉じる時の折り目が付くのでこの部分は長く使っていたり、使用頻度が高いと裂けてしまう事があります。


裂けている部分にミットの内側からあて革をするので、一度ミットの革紐をはずし、解体します。また、この状態にしないとミシンで縫うことも出来ません。


避けた部分のあて革です。避けた部分の大きさに合わせて加工してあります。革用の接着剤で仮どめします。


あてた革がずれないように、ミシンでこのようにジグザグに縫います。縫い合わせたら、革紐でミットの芯材を元通りに固定していきます。


最後に革紐を全部元通りに通して、ウェブを取り付けて完成!この時に元の使い心地を損なわないため、紐を締める強さに気をつけることが重要です。


どうですか?コストはかかりますが、お気に入りのグラブ、愛着のあるグラブ、また大会間近で新しいグラブに型をつけている余裕がない時など、このように修理することも可能なんです!

最後に今回の修理を担当した先輩、中村さんが
ミシンをかけている様子をお届けします!

お買得ウェア

ここ2、3日寒い日が続いています。明日から10月です!ブログを始めて、約3ヶ月になります。時が流れるのが早く感じる岩井です。


パーカー・フリースがお買い得になりました!


ミズノプロフリースジャケット
¥9240→¥5800

プロ選手がウォーミングアップの時など、着用してるのと同じタイプです。背中にはミズノプロの刺繍が入っています。青、白、黒、紺の4色。


アーマーフリースビッグロゴフード
¥7770→¥6200

寒くなった季節にピッタリ!暖かさと長袖なのに動きやすいのが特長です。白と紺の2色。


ミズノプロフードスウェットシャツ
¥6090→¥3900

吸湿発熱素材・ブレスサーモを使用していて、人体からの水分を吸収して発熱します!これからの季節にオススメなウォームアップウェアです!黒とグレーの2色。


練習に、お出かけに、肌寒い時にさっと着られるウェアです!

広島市民球場 ラスト?ゲーム



老朽化が進み、今年が最後の年になる広島市民球場

昨日、51年間の歴史に幕を閉じました。広島市民球場はプロ球団の本拠地球場では、少なくなった天然芝球場(ファウルゾーンを除く)です。両翼91.4メートル、中堅115.8メートルという大きさは、プロ球団の本拠地球場の中では一番狭いものです。高校野球の試合会場としても使われていて、金港スポーツの先輩・山藤さんは広島県瀬戸内高校出身で、1994年に準決勝を広島市民球場で広島商業と戦いました。また、月刊チャンピオンの今月号でも”ありがとう!!!広島市民球場”という特集が組まれていました。来年からは、新広島市民球場がカープの本拠地として使われる予定です。


51年の間にいろいろな歴史が、この球場で生まれました。ミスター赤ヘル・山本浩二選手はシーズン44本塁打を三度達成。鉄人・衣笠祥雄選手は引退まで2215試合連続出場しました。野村謙二郎選手と前田智徳選手2000本安打を、それぞれこの球場で達成しました。


昨日のカープのホーム最終戦、今シーズン最高の3万人を越えるファンがつめかけました。入場時に真っ赤なボードが入場者全員に配られ、そのボードには「ありがとう」と書かれており、その文字が球場全体に掲げられていました。試合は将来の広島のエース、前田健太選手が投打に活躍。3番アレックス選手の先制ホームラン、4番栗原健太選手が21号2ランを放ってヤクルトに勝利し、有終の美を飾りました。
このまま3位を死守してプレーオフに出場し、勝ち抜けば日本シリーズで戻ってこられる。セレモニーでは「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れ、スタンドを真っ赤に染めた観客と選手の、「市民球場でもう一度ゲームを!」との思いが僕にも伝わってきました。


広島東洋カープは1998年以降Aクラスが遠ざかっています。セ・リーグの激しい3位争いとプレーオフに勝って、日本シリーズで広島市民球場に戻ってきて欲しいなと思います。

番長・清原選手引退

長い間ファンを楽しませてくれた選手が、今年も球界から去っていきます。3月・桑田選手、7月・野茂選手がそれぞれ引退しました。そして8月中旬に引退表明したオリックス・清原和博選手。


清原選手は、PL学園で1年生から4番を任され、甲子園5季連続出場。甲子園通算13本塁打史上最多記録。85年、高校生大物スラッガーとして注目を集め、ドラフト1位で西武に入団しました。

ルーキーとして31本塁打を打ったのは高卒プロでの最高記録。西武の4番打者として、人気を集め、当時3番秋山選手、4番清原選手、デストラーデ選手の3人で「AKD砲」と呼ばれ、西武の黄金時代を支えました。オールスターで桑田選手とのKK対決も見ものでした。


96年のオフにFAで、高校時代チームメイトだった桑田選手が在籍する巨人に移籍。巨人でも4番を務めました。巨人在籍時は怪我との戦い、監督との確執問題など、いろいろありましたが、その中で僕が一番印象に残っている場面は、巨人に入団して最高の成績を残した01年に、無冠の帝王と呼ばれる清原選手が、打点王争いで最後まで諦めない姿は、今でも忘れられません。


05年に巨人で戦力外となり、オリックスに移籍しました。移籍後1年目は1500打点等、自身の通算記録づくめの年ではありましたが、シーズン成績は奮わず。翌06年は怪我でキャンプを途中リタイヤし、プロ入り初めて出場無しで終わりました。そして今年の8月、1年半ぶりに1軍へ合流し、数日後、自分の誕生日を古巣である西武ドームで迎え、引退を表明しました。

引退表明後、オリックスが怒涛の快進撃で、28日現在2位。プレーオフ出場へカウントダウンが始まりました。10月1日は大阪京セラドームで清原選手の引退セレモニーが行われます。清原選手が打席に入る時、長渕剛の「とんぼ」がドーム球場全体で大合唱になるはずです。今のところ清原選手のプレーオフへの出場は微妙です。もしかしたら最後の姿になってしまうかも知れません。


京セラドームまでは行けないですが、僕はテレビででも必ず清原選手の最後の勇姿を見ようと思っています。


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